一次資料から見るアンジュー家兄弟の風貌
アンジュー家兄弟、若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョン。彼らはどのような風貌で書かれているのだろうか。一次史料を追って確認をしてみたい。
父と息子たちの背丈
兄弟の体格を読むうえで便利な「物差し」を残してくれたのが、辛口で知られるジェラルド・オブ・ウェールズである。彼はまず父ヘンリー2世を、赤みがかった髪・大きな丸い頭・青灰色の目・たくましい腕・大きな腹と、かなり遠慮なく描写したうえで、息子たちの背丈を父と比べてこう書く。
Staturae vir erat inter mediocris; quod nulli filiorum contingere potuit, primaevis ambobus paulo mediocritatem excedentibus, junioribus duobus infra subsistentibus.
〔彼〔ヘンリー2世〕は中背だった。この身長を継いだ息子は一人もいない。上の二人〔若ヘンリー・リチャード〕は中背をわずかに超え、下の二人〔ジョフロワ・ジョン〕はそれに届かなかった。〕
つまり兄二人は背が高め、弟二人は小柄。たったこれだけの一文だが、以下に見る個別の描写はすべて、この図式の上にきれいに乗ってくる。
若ヘンリー「人の子らの中で美しい」
四兄弟のなかで、容姿を最も惜しみなく讃えられたのは長兄・若ヘンリー王である。父の存命中に戴冠しながら王権を持てず、28歳で先立った"若き王"。ラルフ・オブ・コゲシャルは、その死を悼んでこう書いた。
Hic statura procerus, effigie praeclarus … speciosus inter filios hominum, affabilis, hilaris et apud omnes gratiosus … ut corporis venustate omnes antecedebat …
〔彼は長身で、容貌は際立ち、…「人の子らの中で美しく」、気さくで陽気、誰からも好かれた。…肉体の美しさにおいて万人に勝った。〕
「人の子らの中で美しい(speciosus inter filios hominum)」は詩篇45篇の一句で、つまり聖書の理想美に重ねる最大級の褒め言葉だ。さらに追悼詩は彼をこう歌う。
Rosa formae singularis / Marcet, perit alter Paris, / Hector alter occubuit.
〔比類なき美の薔薇は萎れ、滅びゆく。第二のパリス、第二のヘクトルが倒れた。〕
美の薔薇、トロイアのパリス、英雄ヘクトル――若ヘンリーは、同時代において「美男」そのものの代名詞だった。
リチャード「赤と金の中間の髪、剣のための腕」
弟・リチャード1世については、もっと具体的な"全身図"が残っている。第三回十字軍を描く『イティネラリウム』の一節はにはこうある。
Erat quidem statura procerus, elegantis formae, inter rufum et flavum medie temperata caesarie, membris flexibilibus et directis, brachia productiora quibus ad gladium educendum nulla habiliora vel ad feriendum efficaciora; nihilominus tibiarum longa divisio … species digna imperio.
〔彼は長身で優美な体つき、赤と金の中間に程よく整った髪をしていた。手足はしなやかでまっすぐ、剣を抜くにも打ち下ろすにも、これ以上ないほど適した長い腕を持つ。脚も長く、全身の均整がとれ、帝王にふさわしい姿であった。〕
「inter rufum et flavum(赤と金の中間)」。よく「赤毛のリチャード」と言われるが、史料が言うのは正確には赤みがかった金髪/金赤である。そして強調されるのが、剣を振るうために誂えたような長い腕と長い脚。武人の身体として描かれている。
ジェラルドも、リチャードを兄・若ヘンリーと一対にして、
Ambo staturae grandis … et formae dignae imperio.
〔二人とも堂々たる体格で、…帝王にふさわしい容姿だった。〕
と評し、リチャードを「我らが獅子(leo noster)」と呼んで、武勇・寛大・言行一致の三徳で際立つと讃えている。兄に「年齢でのみ次ぎ、徳では劣らない」とも。長身・金赤の髪・長い腕の剣士。リチャードの容姿の要素はおおむねここに尽きる。
ジェフリーとジョン――語られない弟たち
では下の二人、ジェフリーと末弟ジョンは? ここで史料は、はっきりと冷たくなる。ジェラルドは二人をひとまとめにして、たった一文で済ませてしまう。
Ambo hi staturae modicae pauloque mediocri plus pusillae, et formae pro quantitatis captu satis idoneae.
〔二人とも背は中背以下で、むしろ小柄だったが、その体格相応には十分に整った姿だった。〕
つまり「小柄だけど、まあそれなりに格好はついていた」。兄たちへの惜しみない美辞と比べると、その素っ気なさが際立つ。しかもジェフリーにもジョンにも、単独の容姿描写は一つも残っていない。髪や目の色に至っては、リチャードの「金赤」を除いて史料は沈黙している。
史料がジェフリーについて熱を入れて書くのは、見た目ではなく弁舌と策謀であり、ジョンについては行動と裏切りである。皮肉な話だが、容姿を語られること自体が、若くして死んだ兄たちへの一種の手向けだったのかもしれない。
まとめ
一次史料から拾える四兄弟の見た目を整理しておく。
| 兄弟 | 背丈 | 容姿の核 |
|---|---|---|
| 若ヘンリー | 高め | 長身・絶世の美男(「人の子らの中で美しい」) |
| リチャード | 高め | 長身・赤金の髪・剣に適した長い腕・帝王の風格 |
| ジェフリー | 小柄 | (単独記述なし)「小柄だが相応の姿」 |
| ジョン | 小柄 | (単独記述なし)「小柄だが相応の姿」 |
ただしひとつ気をつけたいのは、若ヘンリーの「詩篇の句」「パリスやヘクトル」、リチャードの「帝王にふさわしい姿」は、実際に顔を見てのスケッチというより、美点を讃えるための定型句(トポス)でもある。額面どおりの似顔絵として受け取るより、「同時代の人々は彼らをこう"盛って"語った」という、イメージの記録として読むのが正しい。
それでも、複数の史料が独立に「兄二人は長身、弟二人は小柄」で一致しているのは興味深い。相対的な体格の傾向としては、信じてよさそうである。
なお、ジョンに関しては1797年に墓が開かれた際、遺骨から身長が推定されており、The Guardian の記事では 約1.67m、5フィート6インチ と紹介されている。また別の記事では5フィート6.5インチ とする説明もあり、概ね約167〜169cm程度と見て良さそうだ。
参照した一次史料(trans-corpus)
- Gerald of Wales(ジェラルド・オブ・ウェールズ), De Principis Instructione
- Richard de Templo(リチャード・ド・テンプロ), Itinerarium Peregrinorum et Gesta Regis Ricardi
- Ralph of Coggeshall(ラルフ・オブ・コゲシャル), Chronicon Anglicanum